御経 of 慈しみ寺

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御経

bante1.jpg 毎日、朝6時と夕方6時に皆で御釈迦様の慈しみの言葉の御経を上げています。

 慈しみ寺で、毎日朝晩、皆様で唱えている御経は、初期仏教(Theravada)伝統で代々守られて来た仏陀釈尊の実際の言葉の一部であり、その言語はパーリ語である。つまり、パリッタ(paritta)とも呼ばれるこの御経は、今から約2600年前、御釈迦様より当時の仏弟子達に教えて下さった慈しみの言葉である。
伝統の解説によると、御経には二通りの神聖な力があるとされる。それが、慈しみの力と真理の力である。
 この清らかな言葉は、仏陀によって、世界の全ての生命に関する慈しみの心で教えられたものであり、その内容も慈しみであるので、御経には測りきれない慈しみの力があるとされる。
初期仏教では、慈しみと感謝のことが人間よって考えることが出来る最高の清らかな思いとして教えており、仏陀釈尊も悟りを開いてから涅槃に入るまで、四十五年間の間、常に過ごされた心の状態のことを慈しみの心 (mettacitta) 言う。また、仏陀釈尊が語られた言葉(法話)の全ても慈しみの心から生じた、慈しみの内容の言葉である。
今、私達が唱える吉祥経・宝経・慈経も、仏陀釈尊の全て慈しみの言葉であり、唱えることより生まれる優れた力も慈しみの力である。
初期仏教で真理と言うのは、自分や世界に対しての事実、またはその本当のことの意味であり、自分を含めて世界の物事をありのまま見る力は真理の力とされる。
仏陀釈尊が全ての煩悩を消滅し、悟りを開いて、目覚めた者で、世界と生命との本当のありのままのことを見て、その中から生命の成長に役に立つものとして選んで語られた内容の言葉は[法](dhamma)と言う。そのような仏陀釈尊の言葉は、一般的に人間が話す言葉みたいに迷い・過ち・誤り等の弱点がないものであり、意味内容的にも正しい言葉だけとなる。その優れた力が御経の真理の力とされる。
 神聖な御経の言葉を唱えることによって、不安のない、恐怖のない、悩み苦しみのない自分を育てる清らかな力が生まれ、それを神々に回向や先祖へに供養することもできる。


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